武田信玄とキリストの格言の共通点

皆さん、こんにちは。
小野寺潤です。
これまで武術、音楽、芸術と話が多方面に及びましたが、
今回は原点に戻って話をしたいと思います。
結局、ライフチェンジとは、
「知情意(ちじょうい)」の世界を十分味わいつつ、
最後は自らの意志で立つことを意味します。
これまで私たちの大半は、
外部の環境や周囲の人々、
そしてマスコミ等の情報に流されて生きてきました。
自分の足で立っているようで、
どこかで何かに依存している、
そんな感じではなかったでしょうか。
その結果、
自分の人生を生きているのか、
他人の人生を生きているのか、
わからなくなってしまいました。
親からの期待や周囲の期待に応えようとか、
こうするしか仕方がないとか、
そんな状況だったと思います。
そんなことをしているうちに、
「自分が本当にやりたかったことを忘れてしまった」
という由々しき事態になっていないでしょうか。
ですから、自分が本当にしたいことは何か、
胸に手を当てて一度しっかり考えていただきたいのです。
その時に、まずはあらゆる条件を一旦外して
考えることが重要です。
できない理由はいくらでも見つかります。
とはいえ、
この世の中は資本主義で動いていますので、
お金がなければ何もできません。
けれども、
自分がやりたいことをするのに、
本当にお金が必要なのかどうかは、
再考の余地があるでしょう。
極端な話ですが、たとえば、
車が欲しいのに買うお金がないとします。
けれども、もらうことができればお金はいりません。
こちらの記事で村澤さんが
大きな一軒家を家賃ゼロで借りられたように、
実際にタダで外車も高級腕時計も、
人にあげてしまう人もいます。
むしろもらってくれる人を探しているという。
あるいは農業をしたいけれど、
土地を買うお金がないとします。
けれども、土地はあげないが、
草むしりとか維持が面倒なので、
タダでいいから使ってほしいという農家さんもおられます。
こうした時に、
やりたいことの意志が明確であれば、
自らが力の限り動く、あるいは情報を集めることで、
意外と道も切り拓けるものです。
以前私どもの受講生で、お金はないが
事業を始めたいという方がおられました。
体が不自由な方のために
松葉杖の開発販売をするのだと。
そこでクラウドファンディングを行い、
瞬く間に1,500万円を集められました。
それも二度続けて。
これらは氷山の一角で、
他にも似たような例が様々あります。
が、意志が中途半端だと、
面倒になってそこまで自分を追い込もうとしません。
皆さん、次の言葉ご存知ですか?
「為せば成る 為さねば成らぬ
何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」
これは、上杉鷹山のそれとして有名ですが、
元は武田信玄の言葉だったと言われます。
それがこちら。
「為せば成る 為さねば成らぬ
成る業を 成らぬと捨つる 人のはかなさ」
キリストも似たようなことを言っていますね。
「求めよ、さらば与えられん。
尋ねよ、さらば見出さん。
門を叩け、さらば開かれん」
(新訳聖書「マタイによる福音書」より)
鷹山も信玄もキリストも、
要は、やれないのではなく、
やらないのだ、と言っているわけです。
そこで必要なことが、
自分の望み、自分の意志を明確にするということです。
意志を明確にして行動する、
すると、得られる。
という単純な図式です。
当たり前すぎて拍子抜けしそうな内容ですね。
ところが、
なかなかそうはいきません。
なぜでしょうか?
意志が明確にならない理由とは?

たとえ話をします。
まず、何か文字の印刷されたA4の紙をご用意ください。
次に自分がやりたいことをワードに書いて、
同じA4の紙に印刷してみてください。
プリントアウトできましたか?
すると、文字が重なって、
何が書かれているのか、すぐにはわからないはずです。
今度はもっと文字の詰まったA4の紙を用意してください。
その上から適当な文字を印刷します。
さらにその上からもう一度、
別の文字列を印字しましょう。
はい。ではもう一度、
自分のやりたいことをワードに書いて、
同じA4の紙に印刷してみてください。
どうでしょうか?
もはや、何が書かれているのか、
わからないですね。
では最後に、
普通の真っ白の紙に自分のやりたいことを
印刷してみてください。
これはよくわかります。
まあ、実際にこの通りやる人はいないと思いますが、
ちょうど今、ここで実験(あるいは想像)したことが、
私たちの心の状態です。
あまりにも多くの言葉で真っ黒になり、
その上に一生懸命、別の言葉を書き込もうとする・・
そんな状況にあるわけです。
書いた瞬間は理解できても、
すぐに埋もれてしまいます。
そのような状態で、
意志を明確にせよと言われても、
困ってしまいますね。
実際には印刷を重ねるどころの騒ぎではなく、
真っ黒けなわけです。
だから意地になって、
もっと書き込もうとする、
すると、もっと真っ黒けになる。
そんな循環になっています。
言葉の中身より大切なもの

さあ、ここで、
これまでの学びをしっかりされている方は
おわかりかと思います。
だから祓いが必要なんだと。
つまり、心を一旦白紙にすること。
それにより、
自分の意志をきれいに印字することができます。
意志が明確になると、
その言葉だけで物事を引きつけるようになります。
その言葉が、
自分を勝手に動かしてくれます。
必要な人物を周りに集めてくれます。
普通は、言葉とかその中身が
どうしても重要になってしまいますよね。
けれども、それ以上に
印字する紙がきれいかどうか、
の方が重要だということです。
ですから、
白川神道ではこのように言うのです。
「祓いにはじまり、祓いに終わる」と。
意志を明確に持つとはそのようなことです。
つまり、きれいな紙に言葉を書くということ。
言い方を変えれば、
透明な心から言葉を発しましょう、となります。
あとは行動あるのみ。
冒頭で書きましたように、
「知情意(ちじょうい)」の世界を味わいながら、
最後は自らの意志で立つこと。
そのために毎日しっかり祓いを行い、
意志を明確に保つようにしてみてください。
自分ができる範囲で構いません。
だんだんと精度が上がってきます。
やがて、そうした日々の積み重ねが、
人生の差となって表れてきます。
決して焦らないでください。
焦りすら祓うのです。
そんなことを繰り返しながら、
これまで見落としていたゴミを
祓うことができるようになります。
そこにある種の面白さを感じられたら、
皆さんのライフチェンジはすぐそこかもしれません。
小野寺潤